思春期に殺された

死にたい思春期

だめなおとなのにっき

酸っぱい葡萄

「仕事や勉強で忙しいから付き合う気はない。けどセフレだったらいいよ。」って言われたの。

OKしたの?

いや、断った。本当に好きだったから、そんな関係は嫌だ。

セフレすでに1人いるの?

あの人とは最初っから体の関係のつもりだったからいいの。

ー何がいいんだよ。選べる立場。女はいいねー。

聞けば初体験は15の夏休み、それ以来11人の男たちと付き合ってきたらしい。?????今いくつだよ。

靴底が抜けてしまった革靴をベコベコ言わせながら一人歩く帰り道。上がってしまった男だから、もう見てくれなんかどうでもいい。でもなんかムカつく。考える。

貞操を捨てたのが20以前の人間、哲学や思想が伴ってないその体験に哀れみを感じてしまう。

この考えを引き当てたとき、胸のうちがスッキリした。これだな。今度会ったとき言ってやろう。

…ぼく?初恋は21歳。

twitter辞めた話

彼女と銀座のバーでデートなう😊 

f:id:uu_mimimi:20180721185618j:plain
— まの (@m_mimimi) 2015年9月11日

 

 Twitterというメディアを知ったのは確か2009年、沖縄で浪人生活を送ってる時だった。

“銀座なう”
“タコパなう”
という使用例を紹介する情報番組をぼくは冷ややか目で見ていた。
「これの何が楽しいんだ」
Twitterという今を映すアイテムに焦点を当て、若者のリアルを描いた瑛太だか妻夫木聡だかが出ていたドラマを見ていたときもそんな感じ。
 
―しゃらくせえな。
 
当時ぼくはパソコンは疎か携帯すら持ってなかった。

自称兄の彼女さんと飲みに行くことになった

— まの(@m_mimimi) 2016年2月26日

 次にTwitterに再び出会ったのが2011年の大晦日。無事というかしぶしぶと言うか大学1年生となっていたぼくは、その頃東京で兄と一緒に住んでいた。

普段バイトやサークルや研究室で忙しく、同じ屋根の下といえでもあまり顔を合わせることがなかった兄。そんな兄と、「まぁ今晩くらいは膝付きあわせて酌み交わし、今年の総決算だとか、これからのこととか、いつもは気恥ずかしくて話せないようなことでも話そうかな~」と思っていた大晦日の夕暮れ。兄の帰りを待ってると、誰もいないはずの兄の部屋から小さく胸の大きい女がちょこんと顔を出した。だれだこいつ……。聞けば、年始の就活イベントに出るために名古屋から上京してきた学生らしく、兄とはTwitterきっかけで知り合ったらしい。ちなみにその前日が兄と初顔合わせな日だったとか。兄が帰ってくると、そのまま3人で宅飲みの流れになった。結局、兄弟水入らずな話も出来ないまま、同じ文化系だという共通項から映画や文学の話なんかで盛り上がり、適当な頃合いを見計らってぼくは兄の部屋を出た。
 
 Twitterで人と出会う、「そんな文化もあるのか?!」と驚くと同時に、「Twitterきっかけ」と恥ずかしげもなく言う兄の姿が眩しかった。そうか、Twitterとは出合い系とは違うきっと健康的なSNSなんだな。
翌朝、兄に起こされ彼女が作った朝食を食べ、3人で書初めなんかをやったりした。「このふたりは昨夜エッチしてたのかな。」「兄のTwitterってどんな感じなんだろな」と雑念ばかり浮かび、数枚書き損じた。
ぼくは「書く」と書き、兄はよくわからないラテン語を書いていた。お互い、そんな感じの男だった。小さいコロコロした女が何を書いていたかは覚えていない。

働いているのに全くツイでそのことを匂わせず、詩とか夕暮れの写真とか、そういうものばかり呟いてた知人、ぼくが学生の頃は気づかなかったけどとても雅な人だったんだなって思う。

— まの (@m_mimimi) 2015年11月15日

 

Twitterを実際に利用したのがそれから3ヶ月後のことだ。その頃好きだった人がTwitterをやっていたので、彼女の勧めもあり恐る恐る始めた。実際にやってみてわかったことだけど、まー呟くことがない。「~なう」という表現が多用されるのもわかる気がした。だって、それぐらいしかないんだもん。
それでも、そうした「どーでもいいこと」を呟く流行りの若者像をバカにしていたぼくは、何とかそれ以外の活路を探した。彼女はというと、目の前の情景を散文詩に切り取ってみたり、読んだ本の内容だったり、社会情勢に対するコメントだったりで、1日平均5tweetぐらい。北村透谷が好きで、『意思と表象としての世界』を愛読し、東大生の元カレがいる彼女。いま思えばちょ彼女の気を引きたかったぼくは、取り敢えず、彼女が好きそうな本の感想を呟いたり、社会問題に対しリベラルな意見で反応したりするようになった。
そんな感じでTwitterを始めて半年が過ぎた。彼女と付き合えた。
 
Twitterでデートの日プラン決め。直接のリプライでは会話せず、空リプで行きたい場所、したいことを呟きあ~でもない、こうでもない互いに呟いた。フォロワーのTLを汚してしまったな、といまでは痛く反省している。ディナーの写真up。彼女は一眼レフを持ち歩いていて、画像加工も上手かった。ぼくがAndroidで撮った写真に比べると天と地の差。だから、せめてもと頑張って角度や光彩を工夫した。それから、テレビの感想を実況しながらシェアに、1日の報告。食べたものや訪れた街の匂いとか。そういう、直接LINEでやり取りするには気恥ずかしく手間なことを共有するのにTwitterは便利だった。たま~に、相手の顔の一部が映っちゃうような写真なんか上げたりして。っておいおい何で自撮晒してるのw…?、その男とのそのやり取り何?、「Dで」って何を?何で?、そっか……、お別れはブロックで。
気づけばぼくは、「3限の民法各論ダルい」とか「今夜は自炊しようと思うんだけど、最近野菜高くない?」とか、どーでもいい生活臭がプンプンするアカウントになっていた。

友だちいなさすぎてついったーの人の話を「友だちの話だけど~」って親には話してる

— まの (@m_mimimi) 2016年5月7日

おたくの例に漏れずぼくは人見知りする。人との距離感を取るのが下手で、人のパーソナルスペースに入るのも嫌だし入られるのも嫌だから、他人と話すのは天気や野球のことばかり。そんな6時45分のニュース番組のような人間でも、Twitterでは気軽に自分の考えや思っていることを呟けた。言葉を受け取る相手と対面していない、気軽に呟ける理由はこれに尽きる。
Twitterをはじめて、間違えなく周りの人との交流は増えた。サークルの人達やゼミの先輩とも繋がったことで、TL上で交流を深め、麻雀や食事会にお呼ばれすることも格段に増えた。
「坪内ってけっこう話せるやつなんだな。前のツイとか面白かったよ」とサークルの先輩に言われたときは、「Twitterを判断基準に”話せる”ってなんだそれ??!」とは思ったけど、そういうきっかけで顔と名前しか知らなかった周囲の人達とも仲良くなれた。
時には「これ自分っぽくない呟きだな~」という理由でツイ消し(呟きを削除すること)したり、背伸びした本読んで背伸びしたコメントを呟くこともあった。そういう下らない自己ブランディングも含めて、TwitterというSNSの楽しさだった。
 就活時には、勉強した内容で疑問に思ったところを呟いて意見を求めたり、学術botや就活情報botをフォローすることで試験の情報を得たりした。この時ばかりは、Twitterもそれなりに役に立った。そのときにフォローした同じ公務員受験生とは今でも交流が続いている。
 就活が終わった頃、一つの区切りとして今までの呟きを一斉に削除した。「恐怖は過去からやって来る」とディアボロは言ったものだ。Twitterを始めた頃は、政治的なことや過激なことも幾ばくか呟いてた。炎上の燃料は早いうちに、というよりは、その当時の青臭い自分を残すのが嫌だった。一斉削除に伴って、Twitterの簡易ブログ、日々の記録としての側面も消えた。

寮の同期とワイワイ飲んでて胸襟開いて無職以外愛せないって恋愛観ぶっちゃけたら口利いてもらえなくなった

— まの (@m_mimimi) 2015年4月19日

 社会人になってからのTwitterの使い方は、学生時代と比べて少し変わった。Twitterの人に実際会う機会が増えたし、同僚や彼女などリアルで交流がある人達とも、Twitter上で繋がるようになった。現実とSNSの境界が曖昧になっている。それゆえに、バカなtweetは慎もうと意識するようになったし、彼女が見ている手前、カッコつけたいから自虐も控えるようになった……と言いたいところだが、実際はその逆。以前通り、いや、以前にも増してバカなオタクtweetは増えたし、FAKEな自虐だって増えた。改めよう改めようと思っても、抑えることができなかった。
ヘルメットで飲む大五郎の味、ぽまえら知ってるか…?("職場"でどちゃくそ飲まされた) 
 と呟く15卒オタクがTLに出れば、彼を励ますためにも、また彼に負けぬように思い思いの自虐を呟いた。
 
 得るものは画面の向こうのオタクたちからの幾ばくかのお気に入り。失うものは周囲からの信用と自尊心。まるで釣り合いが取れない。だけど、自分の恥ずかしい部分を事前にさらけ出すことで、「この人達はぼくのダメなとこを知った上で交流してくれている」という安心感が得られて、リアルの人間関係も円滑にすることができたのも事実。ぼくの人見知りという性格は主に「相手に悪く思われたくない」という不安に起因している。「Twitterを通じてダメなぼくをすでに知っている」という前提ができさえいれば、いくぶんかリアルでの交流も楽になる。「Twitterとだいぶ違うよね?」と冷ややかな目で見られたことも多少はあったけど。

Twitterをやめる日

— まの(@m_mimimi) 2016年4月3日

そんなこんなでぼくのTwitter依存は社会人になっても治らなかった。こやあいさん、つくる、らいすさん、基地外ちゃん……Twitterのオタク達にもたくさん会った。オフ会はどれも楽しかった。なんせ、誰もが皆Twitter経由で知り合った人ばかりだ。人見知りで内気な"坪内"を知らず、バカでオタクで陽気な"ぽきた(@pokita_kroger)"しか知らない人たち。彼らの前では、ネット上のぽきたそのまんまの無遠慮な人柄で振る舞うことができて、とても愉快だった。
流石に、上司や家族とはTwitterで繋がってないが、それ以外の同僚・友人・恋人たちには聞かれればアカウントを教えた。LINEで個別に取る程でもない連絡については、TLでのリプライで取るぐらい重度なツイ廃と化していた。
だから当然、足繁く通っていた飲み屋のマスターにTwitterの利用の有無を聞かれたときも、ぼくは特に気にすることなく答え、彼のアカウントと相互フォローになった。
「へー、坪内くんTwitterやってたんだ。なんかそういうのに疎そうだから意外だね。私以前やってたんだけど辞めちゃってさ。」
隣に座った女の子が言った。
「あ、でも身内用の鍵垢なら私もあるからそれでマスターのフォローするね。」
こうして、ぼくのアカウントと彼女のアカウントは、マスターのアカウントを介して繋がった。友だちの友だちという感じだ。その2週間後、その女の子はぼくの彼女になった。
当初からぼくらは互いのアカウントをフォローしなかった。オタク丸出しなぼくのアカウントを「フォローして」と頼むのは気が進まなかったし、”身内用”と彼女の言った
5tweet 5follow 5follower
 なアカウントをフォローするのも不躾がましい感じがして出来なかった。以前まではバカにしていたSNSマナーというやつに、ぼくは完全に毒されている。

たまにTwitterの話になる。

「坪内くんはTwitterでどんなことつぶやいているの?」

「オタクのしょうもない内容だよ」

と笑って返す。

「私も前のアカウント消す前はけっこうTwitterやっていたんだけど…」

「あんなのやるもんじゃないよねw それよりGWの予定なんだけどさ~」

決まってぼくはすぐ話題を変える。Twitterの話はなんとなく彼女とはしたくなかった。しなくたって、彼女はぼくのアカウントの呟きを知っているに違いない。彼女はマスターをフォローしている。マスターのフォロワーをたどれば、難なくぼくのアカウントを見つけることが出来る。ぼくが彼女のアカウントを見つけたように。

そんな彼女はカメラマンとでき婚した。籍は入れてないらしいけど。

— まの(@m_mimimi) 2016年1月20日

ぼくがTwitterを始めるきっかけを提供してくれた女の子、彼女は幾度もアカウントを消しまた新しいアカウントを作るいわゆる”転生”の人だった。アカウントを消す原因は大方人間関係、というよりも男性関係のもつれだった。彼女は付き合った男性とは必ずと言っていいほど、Twitter上でも繋がる人だった。ぼくたちがそうであったように。

振った振られた、一度会った人がネットストーカーと化した等々と理由は毎回そんな感じ。ぼくを振った後に付き合った男に振られた際は、TL上で自殺をほのめかす文章と画像をさんざんばら撒いた挙句の果てのアカウント削除。別れたとは言え、まだ未練があったぼく。あのときはホント気が気じゃなかった。かと思ったら数週間後にはひょっこり、新しいアカウントを作ってメンヘラ活動を再開しているのだ。

そうしてまた自撮り画像を垂れ流し、感傷的な詩を呟き、チンポ騎士団とも呼べる囲いの中女王として君臨し、その中の一人と交際し、王国の崩壊と共に自殺をほのめかしアカウントを削除に至り、数週間後また新たなアカウントで活動を始める。そういうことが何度も何度も。なぜぼくが彼女の新アカウントを毎回観測できているかというと、ぼくも彼女のメンヘラ劇場に魅せられたフォロワーだったからだ。持てる限りのネット知識と時間を駆使して、毎回彼女のアカウントを探し当てた。

「またバカなことしてるね」

 とLINEを送ったことがある。

「今回も見てくれていたんだw」

と返された。それが最後の連絡だった。

しばらくして、彼女は東京から地元の静岡に帰った。それと前後して、ぼくには新しい彼女が出来た。彼女の活動をフォローするモチベーションがなくなり、以来彼女の消息は虫のウワサ程度にしかぼくの元には入ってこなくなった。静岡でも切った切られたやってるらしい。

こんな具合に、好きな人のSNSアカウントは覗いてしまうものだとぼくは思っていた。付き合っている恋人のものならなおさらである。いくら直接フォローはしてないとは言え、彼女はマスターのアカウントを通じてぼくのアカウントを把握できる立場にいる。日々のオタクっぽいクソみたいな呟きは見られているものだとぼくは思っていた。

 

しかし、彼女は実際ぼくのアカウントを知らなかったらしい。付き合って1ヶ月目の先日、その事実を知った。

「坪内くんは君に届けの風早くんみたいに爽やかだから好き」

と彼女は枕元でぼくによく言ってくれる。

毎回ギャグだと思って聞き流していたが、どうやらそうでもないらしい。

 

蒲田のおっパブに中島敦にやたら詳しい女がいて、聞けば早稲田文学部卒だったときのちんちんのへこたれ具合ったらなかった(以後ずっと天気の話してた)

— まの (@m_mimimi) 2016年5月2日

 

裁判所事務職にもキャリアに準じた海外留学制度があるらしいけど、いったい何を学ぶんだろう。欧米流の通知書の封入作業手順とかかなW

— まの(@m_mimimi) 2016年4月13日

 

そりゃあたしは巨チンとか絶倫なタイプではないけれど

— まの(@m_mimimi) 2016年4月24日

 

 無能自虐、嫌味、下ネタ。

君に届けの風早くんみたいな爽やかな人間が、こんな内容を呟くわけがない。こんなブログ書くわけ無い。あのアカウントの呟く内容を知ったら、間違えなく彼女はぼくに幻滅するだろう。場合によっては別れることになるのかもしれない。
マイナスからのスタートなら望むところだ。Twitterではいろいろ馬鹿みたいなのと言ってるけど実際はとても誠実な人、なんていうギャップだって狙える。しかし、
そう思ったら居ても立ってもいられなくなって、ぼくはTwitterのアカウントを削除した……がそれも1週間程しか我慢できず、結局再開してしまった。気づけばぼくはツイ廃。完全な病気だ。大学を卒業して、サークルやゼミとの関係が薄れたいま、プライベートの交流はTwitterばかりになっていた。LINE以上のライフラインだった。
 
そういうわけで、結局Twitterを辞めることができなかった。彼女の目に触れないように、泣く泣く共通のフォロワーであるバーのマスターはブロックした。でもこれでは問題の根本的な解決にならない。風早くんのような人になる、とまでは言わない。ただ、ぼくの最も汚い腐れオタクな側面を増長して具現化させた"ぽきた(@m_mimimi)"というアカウントはやめなきゃと思っている。
 
こんな自分、ぼくだって嫌いだ。

サブカルと貞操

新宿駅南口、大きな時計でお馴染のファーストキッチンのその近くに、むかし「カップル専用」と看板が掲げられた怪しい漫画喫茶があった。彼女はスマホを操作しながら「ここにする?」と隣を歩く童貞のぼくに聞いた。

「いいよ」

と答え、ビビる気持ちを悟られまいとぼくは折りたたみ式の携帯を開いた。上京して1年くらい経っていたが、夜の新宿を女性と歩くのは初めてだった。ぼくらは近くのコンビニに寄り、酒やおつまみをいくつか買って、そのビルに入った。

「こういうところは意外と綺麗でコスパいいんだよね」

「そうだよね」

以前にも誰かと行ったことがあるんだと思った。彼女は慣れた様子だ。それに比べてぼくは不安で彼女の手を握ることすら忘れていた。雑居ビルのエレベーターに乗って、3階まで上がると、いきなりお店だった。照明が暗く、レジのすぐ真横にコンドームとローションの自動販売機が置いてある以外は、普通の漫画喫茶となんら変わらない内装だ。蝶ネクタイをした女の定員が出てきて「少しお待ち下さい」とレジの前で待たされた。

「こういう店って、女性客の警戒感を解くために女性店員雇うことが多いんだよね」

ぼくは平然を装いながら会話し、彼女は「そうなの」とか「へぇ」とか答えた。

店内にはゆるいBGMが流れ、各部屋の開閉式のドアの軋みとも女の漏れた声とも聞こえる音がときおり響いてた。「お席に案内します」と言われ、ぼくは高い吊橋を渡るときのような、金玉がキュッと縮み上がる思いがした。それでもぼくは彼女の前で一生懸命、童貞ではないフリをした。それはぼくが彼女より年上だったから、ナメられたらいけないと必死だったんだ。

用意された席に向かう途中、レジ前で聞いたときよりもより鮮明に何組ものカップルが愛し合う音を聞いた。シルエットを見た。ぼくは改めて大人の現場にいることを自覚した。

席は彼女と横並びのシート席で、前方の壁掛け机には申し訳程度にパソコンが置いてあった。シートの縦幅は2メートルもなく、ぼくが寝るには足が収まらないが、身長が150くらいの彼女にとってはちょうどいい大きさだった。隣の部屋からはゴソゴソと何やらしている音とクスクスと笑う男女の声が聞こえてくる。

一応、漫画喫茶なので、ぼくはふたり分の飲み物を取りにドリンクバーに行ったが、その後の時間をどう過ごせばいいか、ぼくにはわからなかった。彼女のコーラとぼくのアイスコーヒーを持って部屋に戻ると、彼女は仰向けになって、シートと壁掛け机の間の空間に左右の足を垂らしぶらぶらとさせていた。

 「ハンターハンターの新刊が出てて驚いたよ。ここで見つけるとはね」

ぼくは平静を装い会話を始めたが、彼女は「どうしてほしい?」と聞いてきた。

冨樫先生の連載ペースの話ではないのは確か。理解できたがわからなかった。「え?何?」と聞き返した。その日、ぼくは彼女と少し背伸びしたお店でディナーを食べ、バーに行き、その流れでスマートにホテルに誘うつもりだった。でも緊張から、バーでベロベロになるまで飲んでしまい、ホテルも提案できずただ彼女を連れて夜の街を右往左往してただけ。彼女の医学生の男友だちに会ったときも、ぼくは私文大生という立場のない立場に困ってるだけで、男として何ひとついいところを見せることができなかった。要するに何ひとつ、彼女の前では自信がなかったんだ。

「口でしてあげよっか?」と彼女は続けた。はっきり聞こえたけど、即答はできなかった。でも。とぼけることもできない。「ああ」わかったように返事をしたら、即座にジーパンのベルトに手をかけられた。

あれよあれよという間にズボン、下着と脱がされ、彼女にペニスを握られた。「こういうのは自分で下げてよね」と、あきれたように言われた。それから彼女は何も言わず床にひざまずき、そこに顔を近づけた。背後の部屋からは"アァン…"と切ない女の声がした。この部屋ではどうしようもない男のペニスを、18になったばかりの少女がしゃぶっていたんだ。手に持ってたハンターハンターの新刊はシートの上に落ち、ぼくはその少女をただどうすることできず眺めていた。

 

 初めて女性の裸体に触れたのは、小学5年生の夏、近所の市立図書館で借りたB級映画大全を読んでいるときだった。そこには古今東西あらゆるB級映画が掲載されており、普通なら公立図書館の検閲基準となるエロとグロな写真が"映画のワンカット資料"として、ところ狭しと掲載されていた。バーバレラに死霊の盆踊りにアマゾネスに。たくさんの女性の裸体と、それがぐちゃぐちゃな肉片へと化していく様子。それに導かれぼくは精通した。それからぼくはそうした映画や文化が好きになり、サブカル少年と化し、いつしかより多くの資料を求め、気づけば上京し大学生になっていた。

上京して間もなく、友だちもできなく、暇で、江戸川乱歩を通っていたときがある。ある日、ぼくは人間椅子と出会いしくしく泣いた。きっとこんな歪んだ形でしか、想像のなかでしか、ぼくみたいなのは女と触れ合えないんだろう。文学史上に残るその絶妙なオチなんて眼中に入らずに、ぼくはその椅子男の悲哀に涙した。ぼくの中で、女性とはエログロを表す妄想上の性女であり、現実から浮遊した位置にいる聖女であった。妄想を除けば売春や犯罪以外にぼくと彼女らとを結ぶ線なんてあるわけないんだ、と。寺山修司もその流れで好きになった。決してスマートな理由からではない。彼女は文学的な観点から寺山修司が好きだっと言った。「坪内くんはインテリだよね」彼女はぼくによく言ったっけ。彼女とぼくは寺山修司好きがきっかけで、会話を重ねるようになり、こうした仲になった。

 

AVではこういうとき頭をなでてあげるんだよな…、とうっすら思った。けど、体が動かない。彼女は、はじめぼくの隆起したペニスを上下に舌で舐め、つぎに口の中に含み力強くストロークした。生暖かい口内に包まれ、はげしく隆起したぼくのそれは、3分ももたずにビクッビクッっと痙攣したかと思うと一気に放出してしまった。

「出すならそう言ってよ」

ぼくの精液をすぐに手に取ったティッシュに吐いた彼女はそう言って、コーラを口にたくさん含み部屋を出ていった。彼女が何故怒っていたのか、ぼくにはよくわからなかったんだ。一人ぼっちの部屋でマヌケな時間が無限に続いていたように感じた。「帰っちゃったのかな」ズボンも上げずにそう心配してそわそわしていると、なみなみとコーラの入ったコップを持って彼女が部屋に戻ってきた。「ごめんごめん」と謝ってみたものの、部屋には気まずさだけが残った。彼女がシートの上で横になったので、ぼくも膝を立てて横になった。彼女はすぐに寝息を立て始めたがぼくは寝ることができなかった。

朝、彼女は昼からバイトがあるということだったので、8時には支度を済ませその店を後にした。お店の会計はぼくが払うつもりだったが、どうしてもと譲らず、結局割り勘する形になった。完全にフラれたと思った。

それからしばらくして、彼女と中野で会ったとき「さっき見つけたから」と寺山修司の写真集を渡された。寺山修司にしてはマジメな写真集でエロもグロもなし。ただぼくは、先日の負い目や恥ずかしさや安堵からか「ありがとうありがとう」と何度も頭を下げた。それからぼくらは普通のラブホテルに向かい、普通のセックスをした。はじめてにしては上手く出来た方だと自分では思った。けど、終わったあと「大丈夫?」と彼女はぼくにやさしく呟いた。きっとはじめっからすべてわかっていたんだと思う。

彼女はフラフラした女で、いろんな男と街に出ていろんな男の家を渡り歩いてた。だからぼくも彼女とは遊んでいたが付き合っているとは言えなかったし、付き合ってくれとも言えなかった。グラフィックデザイナーに写真家に、彼女の回りにはいろんな男がいた。そのなかでトップになれる自信がかなったんだ。

暖房なし、四畳半、隣の部屋に同居者の兄アリのぼくの下宿で、敷きっぱなしのせんべい布団の上で彼女とセックスした日、枕元とで彼女が一眼レフで撮ったたくさんの写真を見せてくれた。しめ縄で縛られる彼女に、首輪をつけられ裸で夜の公園を散歩させられる彼女に、肛門にビール瓶を入れられた状態で正座させられる彼女に…。そこには、エログロの写真集では見慣れた構図の彼女がたくさん写ってた。

「この前、同居人の○○さんに撮ってもらったの。どう?」

嬉しそうに聞く彼女にぼくは「よく撮れてるね」とかなんとか、そんな感じのことをもっと衒学的な言葉でホメたりした。彼女は満更でもない感じだった。嫉妬を悟られるのが怖かったんだ。相手はぼくでも知ってる高名な編集社のひとだった。

どうして彼女がぼくのことを好きになったのかわからなかった。もしかしたら好きでもなかったのかもしれない。でも、彼女はお金もステータスもないぼくに体を預けたし、それでぼくは充分すぎると思っていた。けど、いつしかもっとを欲するようになっていた。少し先の話ではあるが、ぼくは定期的に女の人と体を重ねるようになり、それに伴いサブカル方面への情熱がなくなっていった。上京理由でもあったそれは消えたが、今度は都会の便利さを理由に東京で就活するぼくがいた。きっとその趣味は、始まりからしてリビドーの一種だったんだろう。でも、そのときは違った。このサブカルも極めれば彼女の一番になれると思っていた。小説家、でもなければエッセリスト。彼女を腕枕に天井を見つめ、将来のことを思った。そして、不安になったんだ。

✕マッチングアプリ→○出会い系サイト

マッチングアプリの運営を一緒にやろう』
と先日知人に誘われました。
「アカウントの運営?(共同アカとか?)」と聞いたら

「開発」

とのこと。『私が運営者やるから、キミは制作からシステム周り全般!』という。
んなむちゃな……。

一応タップルやTinderをダウンロードして『市場調査』をやってる。出会う気はまったくなかったんだけど、相手からイイね!が貰えるのが気持ちよくて、ついついプロフィールや写真を充実させていたら一日終わってた。

メッセージのやり取りは課金しないとできないということなので、今のところやる予定はないけど、恋人を作るにはホント便利な道具だと思う。

むかし、『出会い系サイト』と言えば売買春等の犯罪の温床で暗いイメージしかなかったけど、『マッチングアプリ』ここにいる人たちは誰も明るく後ろめたさを一切持ってない陽キャラさんたちだ。

時代も変わったなー、と感じながらいろいろと写真をスワイプしてました。

f:id:uu_mimimi:20180710123026j:plain
しかしここまであからさまなのはどうかと思った。まじめな出会いが欲しかったら、少なくとも『顔』や『年収』による選別ではなくまず『内面』だと思うのはぼくが古い所以か。

浪人時代~いちねんめ!

郊外の本屋、古本屋を巡ってた。

図書館で勉強してくるとウソをついて。

 

世間が通勤だ通学だで忙しくなる前の、平日の日の出ごろ。自分で作った朝食を食べ自転車に乗って家を出る。自転車でも3時間以上はかかるような距離にある古本屋を目的地としてたので、いくら早く出ても早過ぎることはない。開店時間の10時くらいに到着する計算だ。古本屋を自転車で回り、本を立ち読みしたり、もらった昼代で掘り出し物を買ったりする。

浪人時代の2年間、ぼくはこのルーティンを月・水・金の3日間、毎週欠かさず行ってた。いま思えば、月曜に開いている図書館なんてぼくの住んでいた県では一つもなかった。なんならそんな早朝から開館している図書館もない。おそらく、母はぼくのウソに気づいていた。

 

初めの頃は、ちゃんと勉強道具を持って図書館に行っていた。といっても勉強はせず、図書館が定期購読している月刊ムーだったり、北杜夫中島らもあたりのエッセイをぼーっと読んでいた。日が出ている時間帯の平日の図書館にはいろんな人がいた。窓際に並ぶ個別のテーブル席、レファレンス室のデスクライト付きの個別ブースでは、ぼくより幾分か気合が入っている浪人生が勉強をしていた。だから近寄らなかった。目に入るだけでこっちまで危機感を感じてしまう。なので、ぼくは浮浪者っぽいおじさんや、土方っぽいおじさんたちが集まる雑誌・新聞エリアで週刊ポストサンデー毎日を読み、子連れや高齢者が集まり賑やかな長机で寺山修司山岡荘八を読んだ。

読む本は無限にあった。どれも無料だ。書店と違って座りながら読めるし、中庭では飲食も出来る。良い環境だった。けど、図書館通いは長くは続かなかった。

 ある朝近所を散歩していると、一軒家のバルコニーで布団を干しているところの女性と目があった。見覚えのある顔、図書館の司書さんだった。彼女が軽く会釈をした。こちらも軽く会釈を返しその場を後にする。それ以来、なんだか彼女と会うのが怖くて図書館には行けなくなった。

 

――今年もダメだったみたい

 

2010年3月14日午前10時、まんが喫茶のパソコンで結果を見たぼくはため息混じりに父に報告した。

「そっか、ま、ダメだったら仕方ないな。いまから家戻る。これからのこと話すぞ。」

うん、と小さく返事してぼくは電話を切った。ドリンクバーのコーラは喉を通らない。漫画を読みたい気分でもない。足の爪先から頭のてっぺんまで、すーっと血の気が引く感覚がした。体の至るところから出ていった血はいったいどこに行くのだろう。入店30分にしてぼくはまんが喫茶を後にした。ゆらゆらと自転車を漕ぎ家へ向かう。

はじめての経験ではない。現役時もその漫画喫茶で父に報告をした。その時は不合格を知ってから1時間近くは放心状態で、父への電話だって嗚咽紛れだったっと思う。不合格のショックが回数を経る毎に小さくなってきてるなー、とぼくはぼやぼや考えていた。

長い坂道を上り家に着く。駐車場には父の車がすでにあり、玄関のドアを開けると居間に座るスーツ姿の父が見えた。この構図も一年前に見た構図と瓜二つだった。

「お前今年もダメだったのか~。そろそろ受かってもいい頃合いなのにな。」

 

浪人生でしかも宅浪と言えば不健康な生活を想起されがちだが、その頃のぼくは5時起き22時就寝と非常に健康的な生活を送っていた。古本屋を回らない日も毎日外を歩いた。でなきゃ部屋が自分のかび臭い大衆で一杯になってしまう気がした。散歩する時間帯はだいたい5時半から6時半。この時間帯なら外でぱったり顔見知りに会うこともない。日本列島の西の端にある沖縄の朝は遅く、紺色の空にはいくつか星も残っている。早朝の街を歩くのはせいぜいご老人かホームレス、弱者ばかりだ。ぼくはこの時間帯をweakers timeと呼んで気に入っていた。

 

浪人無職で迎えることになった19の春、ぼくは、

 

(続きは5年後)

見てくれてありがとうございました